大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和48年(そ)13号 決定 1973年10月13日

請求人 武田博孝 外一〇名

主文

請求人飯島栄博に金一万三六五〇円を、同山本康晴に金一万一七〇〇円を、同高橋康人に金一万一〇五〇円を、同武田博孝、同高原静児、同関太一、同冨岡貞夫、同上田泰弘、同小林由紀夫、同松本忠司、同葛西隆彰にそれぞれ金九七五〇円を交付する。

理由

本件補償請求の趣意は、「請求人らは、建造物侵入、凶器準備集合被告事件について、昭和四六年五月三一日東京地方裁判所においていずれも建造物侵入の点については有罪、凶器準備集合の点については無罪の判決の言渡を受けたところ、検察官は、右判決に対し、控訴を申立て、東京高等裁判所は、昭和四八年五月二三日控訴棄却の判決を言渡し、第一審の一部無罪の判決は同年六月七日確定した。ところで、請求人らは、右建造物侵入、凶器準備集合事件について、いずれも昭和四五年一月一七日現行犯逮捕されてから、請求人飯島栄博については同年三月一八日、同山本康晴については同年四月二四日、その余の請求人については同月二一日保釈により釈放までの長期間にわたり身柄を拘束され、肉体的、精神的苦痛を受け、かつ、このように身柄の拘束が長期間にわたったのは、もつぱら凶器準備集合の点についての立証の困難性、罪証隠滅のおそれが原因であつたのであるから、刑事補償法に基づき、右各身柄拘束期間の大部分について、最大限の補償を求める。」というのである。

よつて、一件記録を検討するに、請求人らは、いずれも昭和四五年一月一七日凶器準備集合、建造物侵入罪の疑いで現行犯逮捕され、右両罪で勾留ならびに勾留延長決定を受けたうえ、勾留のまま同年二月二日建造物侵入、凶器準備集合罪で東京地方裁判所に起訴され(昭和四五年刑(わ)第四一六号ないし四二六号)、その後請求人飯島栄博については同年三月一八日、請求人山本康晴については同年四月二四日、その余の請求人については同月二一日(ただし、請求人高橋康人については、勾留執行停止決定により同年三月八日より同月一七日までの間釈放されている。)、それぞれ保釈許可決定により釈放されたこと、同裁判所は請求人の右各事件を併合して審理したうえ、昭和四六年五月三一日凶器準備集合罪についてはいずれも犯罪の証明がないものとして無罪の、建造物侵入罪については請求人らをそれぞれ懲役三月(執行猶予一年)に処し、未決勾留日数中請求人高橋康人に対しては七〇日、同飯島栄博に対しては四〇日、その余の請求人に対しては八〇日をその各刑に算入する旨の有罪の判決を言渡したこと、および右判決に対し検察官が控訴の申立をしたが、東京高等裁判所は昭和四八年五月二三日控訴棄却の判決を言渡し、右第一審判決は上告申立期間の経過により同年六月七日確定したことが、それぞれ認められる。

ところで、請求人らが本件について抑留および拘禁された日数のうち、建造物侵入罪についての未決勾留日数として本件に算入された部分は、刑の執行と同一視され、刑事補償の対象となりえない(最高裁判所第一小法廷昭和三四年一〇月二九日決定・刑集一三巻一一号三〇七六頁参照)ものであるから、刑事補償の対象となりうるのは、建造物侵入罪につき裁定通算された未決勾留日数を控除した残余の日数、すなわち、請求人飯島栄博については二一日、同山本康晴については一八日、同高橋康人については一七日、その余の請求人については一五日であるところ、本件各抑留および拘禁の基礎となつた建造物侵入、凶器準備集合の両事件は、実質的に密接に関連しており、その事案の性質からみて、同程度に抑留、拘禁の理由と必要性が認められたもので、もっぱら無罪となつた凶器準備集合罪の捜査、審判のためにのみ利用されたものとは認められないこと、その他諸般の事情を総合考量したうえ、前記各残余日数の全部につき、昭和四八年法律第三七号刑事補償法の一部を改正する法律附則二号により、同法による改正前の刑事補償法四条一項所定の補償金額の範囲内である、一日金六五〇円の割合による補償金を交付するのが相当であると認め、同法一六条前段により、主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例